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セクハラ、体罰、不祥事、特異な指導法など、ここ数年、教員に向けての不平や不満、問題意識を聞く機会が増えている印象があります。時にそれは、マスメディアからのネガティブキャンペーンのように感じることも少なくありません。

もちろん、教員は子供たちの将来を担う可能性のある職業です。責任が大きいのは間違いありません。ですが、往々にしてそれらの発言は、マスコミ、保護者側や地域側からの一方通行であることが多く、現場の教員たちの言い分はほとんど反映されていないように感じています。

問題を起こす一部の教員をさも全体であるかのように報道することで、教員全体への信頼、権威性が下がってしまっているところはないでしょうか。

これでは、本来築けていたはずの教員と生徒、保護者との信頼関係を築くのも難しいでしょう。

もちろん教員側にも直すべき点があるのは間違いのないことです。ただ、中にはそれは教員だけではどうにもならない行政の課題であったり、家庭の課題であったりすることもあります。そして、それら行政や家庭の問題もまた、他の領域の課題が生み出している1つの連鎖的な問題であることもあります。

これらの学校現場を囲む問題の全体像を明らかにしないまま、教員の責任として片づけていては本来の意味での解決は不可能でしょう。

 

教員時代、クラスで起こる子供同士のケンカを仲裁することがたびたびありました。

その都度思ったのは、人と人とがすれ違った時には、どちら側からの言い分も明らかにしないことには、本当の意味でのすれ違いが解決することはないということでした。

A君とB君のすれ違いについて見てみると、A君だけの言い分を聞いてみれば、A君が正しく思えますし、同様にB君の言い分だけを聞いていたらB君が正しく思えます。

A君、B君、両方の言い分に耳を傾けることで、初めて問題の全体像や本質が見え、そこで初めて本当に必要な解決策が明らかになってきます。

 

冒頭でも述べましたが、マスコミ、地域、保護者側からの学校現場についての問題意識を聞く機会は事欠かない今、本当の意味でも解決を図るには、私は現場の教員たちの問題意識をもっと明らかにしていく必要があるのではないかと思っています。

もちろん、教員側だけの言い分だけでは偏りが生まれます。保護者、子どもたちの声に加え、教育委員会、文部科学省、地域住民も明らかにしていく必要があるでしょう。

私は、この超職員会議という場を通して、できるだけ多くの人たちの生の声を聞かせてもらい、全体を明らかにしていけたらと思っています。

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