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教員時代、最も不思議であり、また時に憤りを感じたのは、教育委員会が用意する改革案がことごとく自分の問題意識とずれているという点でした。

例えば、現場からしてみたら、もっと児童、生徒と深く関わりたいと思っていたのにも関わらず、上から降りてくる仕事というのは、調査用の書類を書くことであったり、新しいことをするための申請書類が厚くなるようなものであったりと、結果的に現場が望んでいたものとは反対の生徒と関わる時間が減っていくような改革でした。

どちらも同じように現場での教育を良くしていきたいと思っているはずなのに、「それじゃないんだよな・・・」と思うことが多かったのです。

教員時代、この話を同僚とすると、もうほぼすべての人が力強く同意してくれていたので、共感してしてくれる教員は相当数いるのではないでしょうか。

 

では、なぜこのようなことが起こってしまうのでしょうか。

私の仮説では、以下の3つが考えられるのではないかと思います。

 

1、それぞれの立ち位置によってできることが違う。

2、それぞれの立ち位置によって得られる周囲からの反応が違う。

3、それぞれの立ち位置によって大切にしていることが違う。

 

1つずつ説明してみます。

 

1、それぞれの立ち位置によってできることが違う。

教員というのは、日々子供たちと接する仕事ですが、教育委員会の方々が直接関わるのは子供ではなく、教員であったり、保護者の方々であったり、地域の方々であったり、マスメディアであったりします。

つまり教員にとって、自分たちができるのは、子供たちへ向けた直接的な施策ではなく、どれも間接的な施策になります。つまり、子どもに関わる人に動いてもらうための仕事ということになるでしょう。

できることが違う以上、やろうとすることが違ってくるのは当たり前のことなのかもしれません。

 

2、 それぞれの立ち位置によって得られる周囲からの反応が違う

さきほども書いたように、教員というのは、日々子供たちと接する仕事ですが、教育委員会の方々が直接関わるのは子供ではなく、子どもの周囲にいる人たちです。

特に保護者やマスメディアから入ってくる情報は、当然、教員が耳にする情報とは違うものになるでしょうから、視線の先にあるのは、教員が求めているものばかりではないでしょう。

教員が最も頻繁に手にする周囲からの反応は子供たちや保護者からのものです。良い授業や良い生活指導ができればそれだけ満足度が高まり、好意的な評価を得ることができますし、その逆であれば、悪い反応が届きます。必然的に良い授業、良い指導を行うことを目指していくものでしょう。

それに対して、教育委員会が最も頻繁に得る周囲からの反応は、問題が発生した時に届くクレームや調査であるのかもしれません。

とすると、できるだけ問題が発生しなくなるように働きかけるというのは当然の動きのようにも思えます。

 

3、 それぞれの立ち位置によって大切にしていることが違う。

中学、高校の場合、担任となる期間は通例3年です。小学校であれば長くて2年、1年であることも珍しくありません。

また、教室の中で30~40人の子供たちと超至近距離で関わります。このような状況下で成果を上げようとするのであれば、当然、視野は短期的なものになってきますし、最も深く関わるものと言えば、児童・生徒の感情でしょう。

それに対して、教育委員会では、数年後、数十年後の先を見ながら、また、地域全体の学校・子供たちを想定しながら仕事を進めているはずです。

おそらく、児童・生徒の感情というよりは、数字を意識した仕事になっているのかもしれません。

双方が大切にしている時間軸や生徒の規模には間違いなくずれがあるはずで、これにより採る施策にずれがでるのはあるだろうなと思いました。

 

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まとめ

以上、3つほど上げてみましたが、これは私の推測であり、本当のところ、どうなっているのかは私にもよくわかりません。実際、どのようなものなのか、ぜひ一度、教育委員会で働く方々の話を聞いてみたいところです。また、これまで、教員と教育委員会の方との間で行われていた対話というのはほとんどなかったと思います。一緒に対話を行う場ができたら、これまでになかった新しい価値が生まれてくるのではないかもしれません。

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