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子育て真っただ中の教員というのは、とてつもない仕事量を抱えています。

食事の準備や掃除洗濯などの家事に加えて、幼稚園や保育園の送り迎えも毎日のように行わなければなりません。当然、夕方には職員室を出なければならず、学校で抱えられる仕事量は限定されます。また、子育てに限らず介護を必要としている家族がいる教員もいるでしょう。

ただでさえ、忙しい教員をしながら、それ以外にも時間を割かなければならない何かを抱えて、それでも教員として一生懸命に取り組んでいる人たちを私は尊敬しています。

しかしながら、学級で必要となる仕事の量はその人の抱えている負担や家庭の状況を配慮してくれるわけではありません。

学級並びに学校には、しなければならない仕事の総量があるわけですから、誰かが担当できない仕事はそれ以外の誰かがやらなければ学校を運営できなくなってしまいます。

となると、どうしても教員によって仕事量が多い人少ない人が出てきてしまいます。もうこれ自体は仕方がないことでしょう 

ただ、家庭の状況が大変な人の負担が減り、他の誰かがそれを支えるという構図にはそれはそれで難しさがあります。

例えば、学校には、本当は結婚したい、子供を持ちたいと思っているのにも関わらず、仕事が多すぎて出会いの機会を得られずに、結婚をすることも子供も持つことができないでいるという教員もいます。

これはこれでアンフェアです。 

学校の仕事は授業以外にも生徒指導・部活指導に、研究授業や運動会・学芸会などの各行事運営など様々なものがあります。

仕事量を学校内だけで公平に配分するのか、それとも家庭も含めての総量で公平になるように配分するのかという視点がありますし、仕事を多く担当している人も、少ない人も同じだけの待遇で扱われるのが公平なのかという視点も生まれます。

これらの問題は、こうするのが唯一絶対の正解というよりは、いったい何を良しとするのかという議論の上で明らかになってくる、正解のない問いです。 

仕事が多い人も少ない人も同等に評価される現状の学校は、一部の教員の善意によって成り立っているというのが実情でしょう。

仕事量の多い教員の中には、何等かの不満を抱えながら取り組んでいるという人も少なくないはずです。

教員時代の私を思い返してみても、私も仕事量の不平等さに不満を感じている時期がありました。
どういう仕組みを作れば、全員に不満が残らず、納得して仕事をしていけるのかを考える必要があるのかもしれません

 

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