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特別寄稿:本間大輔〔部活問題対策プロジェクト〕
※記事内容は寄稿者の見解であり、プロジェクト団体の
方針・見解とは必ずしも一致するものではありません。

【前回までの記事】
教員の多忙さと部活動の関係について(1):日本の教員を取り巻く現状と学校制度の成り立ち①
教員の多忙さと部活動の関係について(2):日本の教員を取り巻く現状と学校制度の成り立ち②
教員の多忙さと部活動の関係について(3):「日本型学校教育」の光と影①〔前編〕
教員の多忙さと部活動の関係について(3):「日本型学校教育」の光と影①〔中編〕
教員の多忙さと部活動の関係について(3):「日本型学校教育」の光と影①〔後編〕

◆ほんとうに「すべて文部科学省が悪い」のか?

教育問題について語るとき、常にやり玉に挙げられる文部科学省ですが、文科省も様々な教育問題の解決に向けて、精力的に、身を粉にして尽力しています。

元文部省官僚の寺脇研氏の著書『文部科学省―「三流官庁」の知られざる素顔』(中央公論新社,2013)を参照すると、旧文部省時代からの官僚がいかに問題解決に尽力してきたかを垣間見ることができます。

こうした姿を知ると、「すべて文部科学省が悪い」というような安直な批判はすべきではないように思われてきます。

『文科省では定刻になるとチャイムが鳴るって知ってましたか?』(馳浩 他,小学館,2016)では、前文部科学大臣の馳浩氏を筆頭に、当時の文科省の副大臣および大臣政務官、大臣補佐官の6名により、文部科学省の活躍が紹介されています。

この本の中で、共著者である前大臣政務官の豊田真由子氏は、ボストン滞在中に起きたアメリカ同時多発テロについて以下のように記載しています。

「単なる報復の繰り返しでは、おそらく根本的な解決は困難になっていくのではないか(中略)テロを生み出す世界の苦悩や矛盾をいかに解決していくのか」(『文科省では定刻になるとチャイムが鳴るって知ってましたか?』p.241より引用)

この豊田氏の言及はテロについてのものですが、私には、「教員 対 文科省」という対立も同様のことのように感じられます。

問題の「悪者」・「責任を負う者」を追及し、一方的に批判対象にして恨みながら、自省や「自分たちにできることは何だろう」といったことを合理的に検討しないといった姿勢は、果たして「生産的」と呼べるものなのでしょうか。

◆文部科学省との合理的な連携に向けて

私には、重労働にさらされている教員やその問題を認知している第三者が、文科省を「お前たちのせいで!」と恨み、憎むことには、合理性を感じられません。
そうではなく、共に教育を良くしていく「パートナー」として、様々な立場を超え、いかに文科省と協力していくかを考えていく方が、生産的であると思っています。

『文科省では定刻になるとチャイムが鳴るって知ってましたか?』を参照し、文部科学省の立場を考慮するとすれば、以下のような思いがあるのではないでしょうか。

「私たち(文部科学省)が教育現場・教員のために手を尽くして考え、考え抜いて作り上げた施策は、どうも学校現場にはうまく伝わっておらず、運用がスムーズに進んでいないように感じる。
もっとスムーズにこちらの意図が伝わりさえすれば、子どもたちと教員が救われるはずなのに・・・」
(※鍵括弧内は筆者の解釈)

こうした、文科省と現場との連携がうまく取れていないことを示す具体的な事例として、「いじめへの対策」があります。

以下の表をご覧ください。
この図は、「いじめ防止対策推進法」が施行された翌年の2014年度における「いじめの認知件数」を示したグラフです。

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文部科学省(2015)『平成 26 年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」における 「いじめ」に関する調査結果について』pp.25を参照して筆者が作成

都道府県ごとに、数値の大小にかなりの差がありますが、この差は「いじめが実際に起きている件数」の差なのでしょうか。
例えば、いじめは京都府で多く、佐賀県では少ないのでしょうか。おそらく、そうではありません。

この「認知件数」は、積極的にいじめを認知し、対策しようとしている姿勢によって、大きく左右される数値なのです。
たしかに、千人当たりのいじめの発生件数自体は、都道府県によって多少異なるでしょう。
しかし、このグラフが真に意味しているのは、実際のいじめの発生件数ではなく、各都道府県の「いじめ認知への姿勢」の大きな差なのです。

つまり、このグラフから透けて見えるのは、文部科学省から教育委員会、そして各学校現場へと施策が伝わっていく中で、「共通理解」がいかに徹底されにくいかということなのです。

このようなことを見るにつけ、馳浩氏の忸怩たる思いに共感せずにはいられません。
文部科学省の施策が、学校現場にスムーズに伝わるための、何か良い方法はないのでしょうか。

◆文部科学省の施策は、なぜ現場にスムーズに伝わらないのか?……「教育委員会」設立の経緯

この問題の大きな原因を一言で答えるならば、「文科省と学校現場の間に、教育委員会が介在しているから」でしょう。

学校は、教育委員会を介して文科省の意向を「間接的に聞く」という伝達システムの中にいます。
つまり、ここでは「伝言ゲーム」のような状況が起きているのです。

また、教育委員会にも裁量が認められており、「文科省の意向をどれだけ重要視し、実現していくのか」には、委員会ごとに差が生じます。さらに学校にも裁量が認められているので、学校ごとにも差が生じます。

上記の内容からすれば「教育委員会や学校に裁量なんてない方がいいのでは?」と皆さんは思われるかもしれません。
しかし、一概にそうとも言えません。

戦前には「教育委員会」というシステムがなく、各学校は国家の意のままに動かされる状況にありました。
そのため、戦時下という非常事態においては、国の意向が学校を通じて、子ども・保護者に苛烈な犠牲を強制してしまったこともあったのです。

その反省から、「国の意のままに各学校が動く」という事態への「抑止力」として、教育委員会が誕生しました。

このような経過で、教育委員会の抑止力が保障されるようになり、同時に、国からの意向を汲み取らずに、各委員会の裁量で各学校を動かせる範囲が拡大したのです。

しかし、地域ごとの「いじめ対策」への温度差を見るにつけ、「教育委員会や学校などの裁量次第で、大きな差ができてしまう」というこのシステムにも、一長一短があると言えそうです。

文科省の意向が地方の教育委員会、それから各学校へと、徹底して共有されるような工夫ができないものでしょうか。

◆現場と教育委員会、文部科学省の三者をつなぐためには

教員の過重負担の解決に向けて、文科省は2016年6月、部活動に関する問題や長時間労働を改善するための策を打ち出しました。これは数年間をかけて、長期的に改善していこうという取り組みです。

この施策も教育委員会を通じて各学校現場へと降りてきていますが、これに関して、ある教員の嘆きの声をインターネット上で目にしました。

「文科省の改善策がうちの職場にも届いたけれど、書類が形式的に届いただけで、学校としても教育委員会としても、徹底しようとしていない。真剣に対策する気がなく、数日のうちに忘れられていく。せっかくの改善策なのに、何事もなかったかのように扱われている。」

ここでも、文科省の打ち出した改善策は、教育委員会や各学校の裁量に阻まれて、文科省が意図していたような効果を発揮していないようです。

学校現場では、「文科省の打ち出した改善策に従って、長時間労働を見直せる十分な人材の余裕がない」という状況が起きているのです。

そのため、文科省の施策が学校へ降りてくる途中で、「現実味がない」「実現が難しい」などと各教育委員会や各学校で判断され、教員の長時間労働の改善に手が届かない状況が生じているようです。

学校現場においては、「過労死ラインを大きく超えて仕事に従事せざるを得ないため、いつ急死してもおかしくない」という教員が少なくありません。この問題も、「いじめ対策」と同様に深刻です。

子どもへの「いじめ対策」や教員への「長時間労働対策」など、深刻な事態への対策については、文科省が中央省庁として真剣に吟味して練り上げた意向を、末端の学校現場まで浸透させなければ意味がないのです。

◆「超」職員会議2016のコンセプト……対立から協働へ

これまで述べてきたように、日本の学校現場が抱える問題が未だ解決に至らない大きな原因は、「文部科学省が問題を見過ごしているから」でも、「現場が解決を先送りしているから」でもないのです。

大きな原因のひとつは、「現場と文部科学省、そして両者をつなぐ教育委員会の連携がうまくいっていない」ということ、そして「問題に関わる人びとが、膝を突き合わせ、腹の内を語れる機会がない」ことにあります。

当事者は皆、問題の解決を望んでいるのですから、この三者が手を取り合うことさえできれば、解決へ一歩前進するはずです。

これらの問題について、抜本的な解決策がすぐに見つかるとは思えません。
しかし、教員・教育委員会・文科省、そして当事者の生徒や保護者といったあらゆる当事者がみな納得でき、かつ持続可能な策を見つけ実施するためには、まずは当事者たちの理解を一致させ、目標の共有に向けた「歩み寄り」がなされなければなりません。

「超」職員会議2016の意義のひとつは、学校の職員(教員)と行政等の職員が立場を「超」えて話し合い、協働への道を模索することだと、私は思っています。
「超」職員会議2016が、立場を「超」えて当事者をつなぐ場となり、合理的な協働に向けた取り組みの第一歩となることを願っています。

今回は、「文科省-教育委員会-学校」という三者の関係改善と、そのために「超」職員会議が役立てる点について紹介しました。
次回は、「日本型学校教育」という土台のもと、教員の多忙さが蔓延し、その改善が困難を極めている背景について紹介します。
⇒記事を読む:教員の多忙さと部活動の関係について(4):「日本型学校教育」の光と影② (本間大輔=文)

【参照】
・寺脇研(2013)『文部科学省―「三流官庁」の知られざる素顔』中央公論新社
・馳浩・義家弘介・富岡勉・堂故茂・豊田真由子『文科省では定刻になるとチャイムが鳴るって知ってましたか?』(2016)小学館
・文部科学省(2016)『学校現場における業務の適正化に向けて』{最終閲覧日:2016.9.6}
・文部科学省(2015)『平成 26 年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」における 「いじめ」に関する調査結果について』{最終閲覧日2016.9.8}
・文部科学省(2013)『いじめ防止対策推進法の公布について(通知)』{最終閲覧日2016.9.7} 

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