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特別寄稿:本間大輔〔部活問題対策プロジェクト〕
※記事内容は寄稿者の見解であり、プロジェクト団体の
方針・見解とは必ずしも一致するものではありません。

【前回までの記事】
教員の多忙さと部活動の関係について(1):日本の教員を取り巻く現状と学校制度の成り立ち①
教員の多忙さと部活動の関係について(2):日本の教員を取り巻く現状と学校制度の成り立ち②
教員の多忙さと部活動の関係について(3):「日本型学校教育」の光と影①〔前編〕
教員の多忙さと部活動の関係について(3):「日本型学校教育」の光と影①〔中編〕
教員の多忙さと部活動の関係について(3):「日本型学校教育」の光と影①〔後編〕
教員の多忙さと部活動の関係について(3):「日本型学校教育」の光と影①〔閑話休題〕

4.「日本型学校教育」の光と影②◆教員の長時間労働

これまでにも述べてきましたが、日本の教師の多忙さの原因もまた、「日本型学校教育」制度にあります。
この制度を大きな土台として、教員の多忙化に拍車がかかってきました。
業務量の増加に伴って適切に教員数が増員されてこなかったため、現在も教員から「過労死ラインを超える現場の多忙さを何とかしてほしい」という悲痛な声が上がっています。

子どもに関する事柄すべてが学校の業務となるのですから、学校の仕事は増加する一方です。
学校の仕事量増加に伴い、教育委員会や文科省の仕事量も増加し、際限なくどこまでも対応を迫られていきます。

現行の制度では、ここに歯止めがかかることがありません。

◆文部科学省職員や教育委員会職員の長時間労働

文部科学省職員の長時間労働については、寺脇研の著書『文部科学省―「三流官庁の知られざる素顔」』 (2013,中央公論新社)に以下の記載があります。

「深夜どころか未明にまで及ぶ勤務実態(中略)そんな時間まで『サービス残業』せざるを得ないのが実情だ。(中略)課せられた膨大な業務を処理するため金曜の夜に徹夜で働き、土曜の朝に電車で帰宅する羽目になる者もいる(中略)勤労意欲が高いからといって、やはり適正な業務量の配分は必要だろう。」(『文部科学省―「三流官庁の知られざる素顔」』pp.206-207より引用)

教員の過重負担が話題になっていますが、その一方で、文科省職員も過重負担に陥っているのです。

私はこれまでに2回、署名提出のために文部科学省へ伺ったことがあります。
そこで、文部科学省職員の方々に署名提出の受付を対応していただいたのですが、熱心で誠実な人が圧倒的多数だ、という印象を抱きました。

「署名の提出などに応じること」も、文科省職員にとっては、「人員が拡充されないまま仕事量が増えた事例」に該当します。
それでも、職員の方々は熱心かつ誠実に話を聞き、丁寧に対応してくださいました。

署名提出以降、私は文科省職員の勤務実態に思いを巡らすことが増えました。

「終業後の残業は残業手当頭打ち(いくら残業しても予算の範囲内しか支給されない)でサービス残業なのに、皆夜遅くまで働いた。」(『文部科学省―「三流官庁の知られざる素顔」』p.184より引用)

「子どものために」という目的を掲げ、過重負担を背負っているという点では、教員も文科省職員も同じなのです。
おそらく、その間にいる教育委員会職員の方々も、同じような状況だと思われます。

業務を大量に抱え込むシステムが土台にあり、業務量に見合っただけの職員(労働力)が確保されていないために、教員・教育委員会・文部科学省の三者ともが過重負担にさらされているのです。

◆三者の過重負担を軽減するためにも、「教育を社会へ開く」という方法は有効

『文科省では定刻になるとチャイムが鳴るって知ってましたか?』(馳浩 他,小学館,2016)には、「(文部科学省が)優先して取り組んでいる文部科学行政施策(80項目)平成28年4月1日時点」(前掲書pp.267~271より)が明示されています。

この80項目の中のいくつかでは、「学校の中に子どもたちを囲い込むのではなく、もっと地域へ、社会へと子どもたちを開放していく」ことの教育効果が謳われています。

このような「教育を社会へ開く」取り組みは、子どもたちにとっての教育効果も期待されるものです。
そして同時に、三者の過重負担の緩和にも有効となりえるのではないかと思われます。

しかしながら、「日本型学校教育」を維持したままであれば、「子ども達の解放」と真逆の方向、つまり「子ども達の生活を丸ごと抱え込む」方向へ向かうように土台が整っているため、なかなか効果は発揮されません。

どうしても、「日本型学校教育」を根幹から改善しないことには、こうした対策は有効となりにくいのです。文部科学省も、十分な財政基盤を得られない中、対策に苦慮しているものと推察されます。

◆学校を「生活集団」から「機能集団」へ……学級制から単位制へ

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前回にも述べたように、十分な教育費の財政基盤がない以上、「ウサギ小屋」を「一軒家」に改築することは叶わず、子どもたちはストレスにさらされ続けます。
同時に、教員はストレスを抱えた子どもたちへの対応をしながら、増加しつづける職務に尽力しなくてはなりません。

両者の問題を低コストで改善するには、教員の職務を限定し、日本の学校制度を「生活集団」(*1)から「機能集団」(*2)へと構造を変えていくこと、具体的には、学級制から単位制へと体制を見直していくことが有効となります。

(*1)「生活集団」………家族や近隣住民と共同で仕事(農業など)に従事し、顔見知り同士で生活のすべてを丸ごと共有する集団のあり方。
(*2)「機能集団」………ある目的の達成のみを結成理由とした集団のあり方。ここでは、「子どもの一斉教育」という目的の達成のみを結成理由とした学校(学級)のこと。

単位制については、大学の履修制度を思い浮かべてもらうとイメージが湧きやすいです。

単位制の元では、子ども達は「ウサギ小屋」に自由に出入りできるようになります。
そのため、固定された人間関係の中で苦痛を覚えたり、いじめ・不登校へ陥ったりするリスクも軽減されます。
流動的な人間関係が基盤となっている学校および学級では、子ども達は過度のストレスにさらされることはありません。
学校が、「生きやすい場」へと変容するのです。

さらにそこでは、教師の仕事は本務に限定され、際限なく業務を抱えることはありえません。
教員の多忙さの改善を図ることができ、教員は本務(授業)に取り組みやすくなるはずです。

単位制の採用に関する留意点としては、子ども達が学校卒業後に所属する組織、たとえば会社等の閉鎖的集団の中で直面しうる理不尽な要求やいじめ等への「耐性」を、学校教育の段階で身につけられなくなることが挙げられます。
これについては、以下に、内藤朝雄氏の著書『いじめの構造』(2009,講談社現代新書)から、社会構造改善についての提案を引用します。

「公私の峻別については、たとえば仕事や勉強をすること(公)と『仲良く』すること(私)を峻別する社会システムのなかで、はじめて個の人格が保障される。『仲良く』しなければ仕事や勉強にならない社会では、生きていくために「へつらう」、つまり上位者や有力なグループに自分の生のスタイルを引き渡さざるをえない。それに対して公私の明確な区別は、職務や認定試験の公的基準に達していれば、私的な感情を売り渡して『仲良く』しなくても、身の安全が保障されるという安心感を与える。この安全保障が、卑屈にならなくても生きていける人格を保つ最低ラインだ。」(『いじめの構造』pp.210-211より引用)

つまり、「仕事や勉強」と「仲良くすること」を混同しない、すなわち学校を「機能集団」化することが、むしろ生徒個人の人格の「安全保障」を確保するのには有効である、ということです。

内藤氏(2009)が提案する上記のような社会制度のもとでは、子どもたちが社会へ出てからも、安心して自由に他者と距離をとることができるようになります。
小中学校の段階から「市民社会の論理」を学校で採用し、お互いに過剰に干渉し合わない慣習を身につけさせれば、会社等の閉鎖集団内においても、この慣習が維持されることを期待できます。

制度を改善してから、慣習に変容が起こり、成果が表れるまでに、しばらくの時間は必要です。
しかし、「他者への過剰な干渉」が発生しない風土が形成される可能性に期待したいものです。

このように、「日本型学校教育」制度が根本から改善されない限り、約150年前の制度が土台となっている教育制度のもとで、子どもたちは「生活集団」の中で過ごし、いじめ等のリスクにさらされ続けることになるでしょう。

この問題については、繰り返しになりますが、日本の学校制度を「生活集団」から「機能集団」へ(すなわち学級制から単位制へ)と見直していくことが、有効な解決策となりえます。

教員だけの問題ではなく、日本に生きる私たち全員に関わる問題として、社会的に認知し、リスク(損失)とベネフィット(利益)を検討していく必要があります。
なぜならば、その選択の結果は、将来の日本を構成する人材(現在の子ども達)に返ってくるからです。

今回は、「日本型学校教育」という土台のもと、教員の多忙さが蔓延し、その改善が困難を極めている背景およびその対策の一例について紹介しました。
次回は、教員の多忙さが維持されてしまうメカニズムについて紹介します。
⇒記事を読む:教員の多忙さと部活動の関係について(5):「日本型学校教育」の光と影③ (本間大輔=文)

【参照】
・馳浩・義家弘介・富岡勉・堂故茂・豊田真由子『文科省では定刻になるとチャイムが鳴るって知ってましたか?』(2016)小学館
・文部科学省(2015)『学校や教職員の現状について』{最終閲覧日 2016.8.14}
・内藤朝雄(2009)『いじめの構造』講談社現代新書
・中澤渉(2014)『なぜ日本の公教育費は少ないのか』勁草書房
・リヒテルズ直子・苫野一徳(2016)『公教育をイチから考えよう』日本評論社
・寺脇研(2013)『文部科学省「三流官庁の知られざる素顔」』中央公論新社

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